SS「空気涼やかなれど」
「カミラ、そんなに気になるのなら、星を見に行こうか」
揺れるカーテン。部屋に入ってすぐに目に入った薄い若草色の髪が月明りに光り輝いている。背伸びをして窓にしがみついていた少年は、ヴラドがひとこえかけると、ぱっと満面の笑みを浮かべて、振り返った。
綿毛のようにふわふわな若草色の癖毛、白い膚。名前はカミラ。その見た目の印象は幼く純真そうで、あどけない。だが、彼は人間の年にしたら、もう成人している年齢だ。わけあってこの姿にしている。
「本当ですか、ヴラドさま!」
喜びに、小さく飛び跳ねたカミラにヴラドは目を細めた。動作も情緒も幼いとしかいえない、いつまで経っても、おとなになることはない、永遠の少年。対して、ヴラドはというと、見えないもの、失っていくものばかりがどんどん増え続けている。
彼は思わず右目に手を触れていた。彼の指は瞳には触れられなかった。右目の上には、大きく亀裂が走ったような傷があり、さらにその上に黒い眼帯がかぶさっている。古い想い出と感情に、蓋をするように。それがあふれ出てしまわないように。
「ヴラドさま?」
小走りでこちらに近寄ってカミラが、ひざ元でこちらをうかがっていた。
「もしかして、目、痛いんですか?」
「あ、いや、違う……、大丈夫だ、それより」
と、笑顔を作ってヴラドは言った。
「今夜で良ければ一緒に外に出てみようか。近くの丘に登ってみよう。少しでも高い場所のほうがいいだろう。星に近づけるように」
手を伸ばせば、カミラは嬉しそうにそれを受け入れた。ヴラドにされるがままだ。撫でられて喉を鳴らす猫。
「ヴラドさまと外にでられるの、嬉しいです」
ヴラドは目を細めた。ヴラド邸、この屋敷ひとつが、カミラに許された場所だ。勝手にいなくならないように、ヴラドの許しがなければ外出できないように"設定"があらかじめほどこされている。
「いこうか」
先ほど脱いだばかりの外套を身にまとうと、カミラの小さな手をとった。ふたり手をつなぎ並んで歩くと、ひっぱられるわけではないのだが、下に重心がいってしまうようで疲れる。だが、ヴラドはカミラに負担がないように、そっと手を握りしめた。力をいれたら簡単に壊れてしまいそうで、少し怖い。
女中に外出の旨を伝えてさがらせると、カミラをつれてブラドは館の扉を開けた。ひゅっと風が一陣、ヴラドとカミラを通り過ぎていく。
「なんだか、寒くなっていますね」
ヴラドは、一瞬たちどまった。それから何事もなかったように、明るくこたえた。
「そうだな、いつの間にか、秋の空気になったな」
「うう、寝ている間に、また夏が終わっていました。ぼく、夏にヴラドさまとしたかったこと、たくさんあったのに」
「たくさん? どんなこと?」
「えっと……水遊びがしたかったです」
「プールなら帝都にある」
「そういうんじゃなくて」
「川か? それは少し難しいかな」
と、頭に何かがよみがえってきそうになってヴラドは唇をかみしめた。それは彼が幼い頃の記憶、かつていつか見た景色。魚の鱗のように輝く大河の記憶。いまはもう行くことができない。血で赤く染まってしまった土地、もうたどりつくための道筋を失ったヴラドの故郷の光景だった。
「あ、でも、今日、お外に一緒におでかけできて、ぼくはしあわせです!」
何かを感じとったのか、カミラが急に大きな声を出した。ヴラドはカミラを見下ろす。薄暗い夜道でも、彼の大きな瞳は翡翠色に輝いていた。
「あの丘ですよね、ヴラドさま」
カミラの指さす先に、小高い丘が見える。
「少しでもお星さまに近づけたらいいですね」
ヴラドは笑った。カミラを預かるようになってから身にしみついてしまった笑い方で。それから、すこしだけ、何か変な感じがした。無邪気に笑うカミラはいつもと何も変わらない。だけど、なんとなくいつものカミラと少しだけ違うような――、ああ、そうか。ヴラドは息を吐いた。肺にたまっていた自分の体温のしみ込んだ空気を外に出す。星に手が届かないことくらい、そりゃわかっているよな、と。
息を吐いたはずなのに、空気じゃないなにかで自分の内側がぎゅうぎゅうになって、苦しくて、どこかに飛び出して行きたいような気がした。
でも、あくまで気のせいだ。
カミラの前にいるとき、ヴラドはいつだって、保護者のヴラドなのだから。
(了)
24年9月28日
#創作BL版深夜の60分一本勝負 第133回ワンドロ・ワンライお題
「秋」「夜長」
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